第33号 2010年3月発行
「『いただきます』感謝の気持ちを忘れずに」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこいばい)の食援隊、細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

先日、農家のおじいさんに教えて頂いた「いただきます」のお話です。

高知市から西に車で約2時間、
黒潮町にあるドクダミ畑の様子を見に行っておりました。

昨年は、一部の畑で霜やイノシシの獣害に見舞われ
収穫量が少ない畑もありました。

「イノシシはドクダミを食べない」と思っていましたら
ドクダミ畑の土中のミミズを食べに、ドクダミ畑を走り回り
一部の畑が荒されてしまいました。
本当に自然の物を作るというのは、予期せぬ事があり大変です。

それで今年は、契約農家の農家さんたちは、
霜対策、イノシシ対策等々万全を期し、今年の収穫に向け準備をしております。
その畑に足を入れますと、
早くも小さな芽を出しておりました。
これも冬の間に、農家さんがしっかりと手入れしお世話して頂いたお陰です。

今年のどくだみがしっかりと育つよう祈願し、畑を後にしようとしたその時
私の携帯電話に、着信のサインがありました。
どくだみを育てて頂いているその農家さんです。

農家さん:「細川さん、今どこぜ?」
私:「いつも本当にお世話になります。ちょうど畑におります」
農家さん:「ぼっちり、えい案配、早ようウチに来てみたぁ」
私:「えっ!何かあるがですぅ」
農家さん:「えいもんがあるけん!!!」
何やら興奮した様子、電話の声は、ハイテンションです。

急いで、農家さんのご自宅に駆けつけ
私:「お世話になります!細川です!」と庭先で声を掛けますと、
農家さん:「早よう来てみたぁ」と奥から声がします。
奥に失礼しますと
農家さん:「これ見たぁ~」とニンニン顔で指差した、その先は・・・・

イノシシ!!!!!!

農家さん:「今朝、罠にかかっちょったがよ」
と言いながら、包丁で捌いているのです。
イノシシの解体現場を目撃したのは、生まれて初めてです。
あっけに取られている私に
農家さん:「ほれ、これ持って帰ったぁ、塩焼きか、すき焼がうまいけん」と
肉の塊をポンと渡してくれました。

この時期のイノシシは、絶品のようで、
以前より農家さんが「今度、うまいイノシシを食べさせちゃうけん」と
ニコニコしながら話しておりました。

それで早速、家に持って帰ると・・・

妻:「イノシシらあ、よう食べん。食べたことないし、、
なんかさっきまで生きちょったらあて、かわいそう。
そんなんいや。どうやって食べたらえいかも知らんし・・
いや、やっぱりよう食べん。」

はい。私も、実はそう思っていたのです。
農家さんにニコニコと渡されたものの、
何か自分自身に嫌悪感、罪悪感を感じていました。

しかし、せっかくの頂き物ですし、
農家さんに教えて頂いた事を、妻に伝えました。

私:「実は自分もそう思うちょった。けんど、農家さんに
言われた。昔、食べるもんがない時代には、
生きるためには、しかたのないこと。
目をそらすことはできん。って。
食べるということは、命を頂く、ということ。
それやき、感謝して食べないかん。感謝して食べたらえい。
いうて、言われた。」

そうして、妻は、農家さんにお礼の電話をし、
美味しく食べる料理方法を教えて頂き、
イノシシのすき焼きと塩焼きがテーブルに並びました。

しっかりした食感なのに、程よく柔らかく
脂っぽさも、全くしつこくなく、
肉の旨味も口の中いっぱいに広がって、
家族四人で「お!おいしい」と目を合わせました。

最初は、かわいそうな気がしておりました。
しかし、食卓にいざ並び、口に入れた瞬間、
おいしい!!と、さっきまでの気持ちは薄れていきます。

確かに、食卓に並ぶ食材は今回のイノシシに限らず、
牛肉や豚肉、鶏肉も同じように捌かれ、
部位ごとにカットされ、小売店やスーパーのショーケースに、
「しゃぶしゃぶ用」「すき焼用」「焼肉用」「唐揚げ用」等々とラベルを貼られ
きれいに並んでいます。その姿からは、その手前の状態が想像できない程です。

捌かれている現場を見たから、嫌悪感や罪悪感を感じたのであって
もう何十年間も、食事をしているのに、
きれいな形の最終商品しか見てなかったから
嫌悪感や罪悪感は薄かったのだと思います。

私が幼い頃、よく両親が
「食事は命を頂くもの、いただきますと最初にちゃんと言わんといかん」と
言っておりました。当時は「命を頂く」「いただきます」の意味が、
あまりピンとこなかったのですが、

今回、農家のおじいさんの
「畑で米や野菜を作り、山で猟をし、海で漁をして食をする」
(もちろん、そればかりではないのですが)
という食の原点的な姿を目の当たりにし
「命を頂く」「いただきます」の意味を深く感じたように思います。

そういえば、少し前、車の運転中に流れてくるラジオから、ある小学校で、
「給食費を払っているのだから、給食の時間に、
うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。」
という親からの申し入れがあったいう話題がありました。
この論議は、賛成派からも反対派からも大きな反響があったようです。

今は何もかもが便利になりました。
特に「食」に関しては、飲食店は軒を連ね、食料品店や食品スーパーも
豊富な品揃えで、朝早くから夜遅くまで営業してますし、
24時間営業のお店もあります。

時代とともに、そして、便利というものの影に、
大切な何かが見えにくくなってきたのではないか、そんな風に感じます。

「食事は命を頂くもの」は、変わりのない事実だと思います。
食事をする時には、「命を頂く」「いただきます」の気持ち
そして、感謝の気持ちを忘れずに
毎日の食事を大切に頂こう、と強く感じました。

それでは、失礼します。

細川 泰伸