第46号 2011年4月発行
「忘れられない桜」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)の食援隊、細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして本当にありがとうございます。
またこの度は、手作り新聞「イキイキ元気倶楽部通信」を
お手に取って頂きまして心より感謝申し上げます。

先月の3月11日(金)に発生しました東北地方太平洋沖地震、そしてその津波の被害
1ヶ月が経った今でも、各メディアから流れてくる現地の生々しい傷跡と
被災された皆様のご苦労・ご不便の様子に、
本当に本当に本当に胸の痛む思いをしております。
被災者の皆様に謹んで心よりお見舞い申し上げます。

それから、原子力発電所の被災により、放射能が漏れ、
漁業・農業・畜産業・製造業等、 その他多くの産業で、
被害に遭われました皆様のご心痛は、計り知れないものと察しております。
また、被災地以外でも、その影響によりさまざまな被害を被られておられる皆様も
大勢いらっしゃると思います。重ねて心よりお見舞いを申し上げます。

こちら高知では、冬の長い間、じっと待っていた桜の木々が、
一斉に可憐な花を、私達の目に届けてくれるようになりました。
毎年、一年に一度、寒い辛い冬の季節を耐えてきた桜は、
必ず必ず必ず、私達に心躍る和やかな明るい気持ちをプレゼントしてくれます。

被災地の復興の日も、この桜のように、必ず必ず必ず訪れる事を信じております。
どうか、桜のような心踊る明るい復興の日が、1日でも早く訪れますことを、
そして、皆様のご無事とご健康を心よりお祈り申し上げます。

桜の話題が出ましたので、
今回は、私が今まで感じた一番印象的だった、
忘れられない桜のお話をさせて頂きます。

それは、今から23年前、私が高校を卒業し、東京での新生活が始まる春の事でした。
これから始まる大学生活に、ボストンバック一つに希望と不安をいっぱいに詰め込んで、
高知空港を立ち羽田空港に降り立った私は、親からもらった地図を片手に、
電車を乗り継ぎ、吉祥寺駅に到着しました。

私の大学生活は、高知の育英協会が運営する「土佐寮」という寮がその舞台です。
寮生は、もちろん高知出身の学生ばかりです。田舎者の集まりではありますが、
オシャレな街・吉祥寺にあると聞いていたので、非常にいい意味で期待をしておりました。

地図を見ると、桜で有名な井の頭公園の池の橋を渡って行くように書いています。
橋を渡っていると真ん中で何人かの方が、
望遠カメラを三脚にセットして、何かを撮影しているようです。

ふと周りを見渡すと、池の周りの桜がちょうど満開で、その桜が池に映って、
2重の満開の桜のなんとも形容しがたい光景が広がっていました。
私は新しい地で、手元の地図ばかりに気を取られ、
この素晴らしい光景に気がつきませんでした。

あまりの美しく高貴で気高いその光景に、
心を奪われた事を、今でもはっきりと覚えております。
これから始まる東京での新生活が、きっと明るいものであると確信をしました。

橋を渡って、さらに地図を頼りに道を進んでいくと・・・
目の前に、歴史を思いっきり感じさせられるような建物が見えてきました。
歴史を思いっきり感じさせられるようなといえば、かっこいいのですが、、、、
正直、とてもとてもとても住めそうにもない、住みたくない建物です。

もしや、、、と思って、覗いて見ると・・・・
ドンピシャ!ビンゴ!   正真正銘の土佐寮、
私の新生活になる舞台の土佐寮でした。

高知を出る前に「寮はボロイき、すっと分かる。(=古いので、すぐに分かる)」
と親から言われていましたが、本当にその通りで、
すぐに、一目瞭然、寸分の狂いもなく、すぐにそうだと分かりました。

あまりのひどさに、気分はポッキリ折れながらも、寮の中に足を入れると・・・・
ギシギシの抜けそうな廊下で、アメリカナイズ?された土足OKの寮内!
話を聞くと、2年生から隣のわりととキレイな寮に移る事ができるとか、
一年間の辛抱というのです。

東京の一等地で、朝夕の食事付で格安、それなりの覚悟はしてきたつもりでいましたが、
ここまでとは、、、、と思うと、希望に満ち溢れた新生活が一気に暗黒色に染まりました。

しかし、1年間の辛抱! 80歳まで生きるとして、
たった1年間、80分の1ぃぃぃいいい!!!!!と気持ちを入れ替える事に、
人間って、本当に不思議ですね、1週間経つと、慣れるというか、、、
あまり気にならなくなってきます。(新寮生で、出て行った者は、2人程いましたが・・・)
こうして、なんとか慣れながら、そして覚悟を決めながら、
私の大学生活がスタートしました。

寮生活が始まり、2ヶ月が経とうする5月のこと、
寮の一番の行事で「寮祭」というお祭りの日がやってきました。
寮の先輩方は、この日を一日千秋の思いで待ち焦がれていたようで、
朝から、寮の空気が180度転換したように、全く違ったものを感じました。

「寮祭」は夕刻開始です。開始時刻が近づくと、
先輩方は、服を脱ぎ始め、赤い布を腰に回し始めました。

察しの良い方は、もうお分かりですよね、
赤い布は、「赤フンドシ」です。

赤フンドシ祭りが、脈々と数十年も伝わる土佐寮の「聖なる伝統行事」なのです。

赤フンドシ姿と言っても、全裸ではありません。上半身はTシャツを着ております。
無断で、全裸で赤フンドシ一丁では、ワイセツ物陳列罪で逮捕されてしまいます。
寮祭の行事は、一応、地元の警察にも事前に届出をしております。

私は、フンドシを締めるのは、初めての事、
正直、そんな恥かしい事は・・・・と気持ちが後ろ向きでしたが、
先輩方が、本当に楽しそうにフンドシを締めながら、
「お前も、締めたら気持ちが分かる!!」と強く説得(命令)され、
先輩に教えてもらいながら(強制)、フンドシを締めてみると・・・・

これ、結構いいんですよぉ~、
きゅっと締まる感じが、妙に気合が入ります。

寮生の向かった先は、いつもお世話になっている商店の皆様の所、
いつもの感謝のお礼とこれからもよろしくお願いしますの気持ちを込めて、
お店の前に整列し、エールを切ります。
商店の方も、毎年楽しみにして頂いているようで、
私達の到着を大勢で待ってくれていました。

その後、この異様な集団は、なぜか?夜の井の頭公園へと進みます。
橋の真ん中に差し掛かった時、その意味が分りました。

橋の欄干に足を掛け、飛び込む先輩方の姿が・・・
次の瞬間、飛び込んだ私の姿もありました。
(※危ないので、池に飛び込んではいけません。)

そして私は、
池の水面から見える、桜の散った桜の木の風貌に圧倒されました。

真っ暗な夜の中に、ぼんやりと外灯に照らされながら光輝く桜の木、、、、
つい先月まで、満開の桜の花をみせてくれた桜の木は、
繊細なその枝から「次も必ず!」と美しく、逞しく、力強く、光輝いていました。
(入寮の時は、桜は満開でしたので、余計にそう感じたのかもしれません。)

「暗闇」と「光輝く」という真逆、正反対のコントラストが、
これから始まる新生活、さまざまな困難という暗闇の中にも、
必ず桜のような明るい未来があると強く感じました。

そして、池の「泥臭さ」と桜の「美しさ」という、これまた真逆、正反対の臭い・香りは、
それから始まった寮の先輩・同僚・後輩達との泥臭くも美しい絆を
投影していたのかもしれません。

今でも土佐寮の先輩・同僚・後輩達とは、いいお付き合いをさせて頂いていて、
寮で過ごした4年間は、私にとって、貴重な宝物です。
たまに集まると、必ずといっていいほど、赤フンドシの話に花が満開になります。
全員が同じ姿になって、同じ時間・同じ感情を共有した事が、
連帯感・連携感を深めたようにも感じます。

ちなみに今は、時代の流れなんでしょうか、
この「聖なる伝統行事」やっていないそうです。
本当に残念でなりませんが、時代に合っていないといえば、そうかもしれません。

それから、私が入寮した時のアメリカナイズ?された寮は、
私が4年生の時に解体され、新しい寮が立ちました。今は、とても快適なようです。

それにしても私にとりまして、入寮の時に見た、池に映った2重の満開の桜の光景、
そして、寮祭の時の、池の水面から見た桜の木々は、
本当に忘れられない大切な思い出です。

今年も、高知から新しい大学一年生が、希望と不安をいっぱいにして、
土佐寮の門を叩くと思います。
勉学に励み、友情を深め、有意義な学生生活を送って頂きたいと、
桜の思い出と共に、一先輩として思うこの頃です。

4月とはいえ、インフルエンザが流行っていると聞きました。
季節のかわり目、くれぐれもご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。

「うがい、手洗い、十黒梅(じゅっこくばい)」
皆様の健康管理、健康作りに、十黒梅(じゅっこくばい)がお役に立てれば幸いです。

それでは、失礼いたします。

細川 泰伸